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ネガティブに汚染されていない「足るを知る。」
ことが大切だと思います。



本当は欲しい。欲しいけど、買えない。

だから、あきらめているだけのくせに、それを

「足るを知る。」という言葉で誤魔化してはいけません。





人間は物質に囲まれていますし、
実際、物質の助けがなければ社会の中では暮らしてはいけません。

だから、まず快適に暮らせるレベルまで物質を充実させる必要があります。

その課題を達成したら、次はその快適性を引き上げるという段階がやってきます。





この「快適性の引き上げ」をどこまで続けるのか?
どのような方向に持っていくのか?

そこにその人のセンスや人格が出ます。


見栄や執着がすぐに純粋な願望を汚染して来るからです。

快適性を引きあげた結果、
ただのダサい成金になっちゃうケースが多いです。





物を売ることによって回る消費経済では、
次々と物欲を刺激する仕掛けが目の前に現れてくるでしょう。


充分に豊かな中で、
足るを知る生活に感謝して生きれば幸せなはずなのですが、
そうするとある時点で物が売れなくなり、
経済発展が鈍化するので、
世間はありとあらゆる手段を使って、
あなたの欲を呼び覚まそうとしてきます。



せっかく到達したパラダイスさえ、
何かが足りないような気がしてみすぼらしく見えたりします。
そういう時こそ、洞察力を発揮して、
「足るを知る。」という言葉を思い出すべき時です。





買える経済力があるから欲しいものを買えば良いという訳ではありません。


なぜなら、モノを手に入れたとしても、
幸せや世界の平和に繋がらない場合が多いからです。





ですから、物欲が浮かんで来たら、
まず、それを手に入れたところをイメージしてみて、
消化してしまえるもの、
すなわち

「それが無くても全然良い。」
「むしろ、それは邪魔だし、重荷になる。」

という部分までを観て、無駄な物欲を見切るということです。




その見切りの中にエコロジーや世界の平和、
他者への思いやり、創造力、想像力が織り込まれることが身近な意味での人類の意識の向上なのではないでしょうか?



 





命をありがとうございます!


 


 


 



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