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「人生は映画みたいだな。」

ずっと昔、そう感じるようになりました




映画というものは、
スクリーンの中で展開する仮想現実です。
そこに表現されているストーリーには、
もちろんシナリオというものがあって、

それが映画となっているのです。




それでは、「シナリオとはなにか?」と考えてみますと、

それは意識エネルギーだということがわかります。




作家が意識の中で創り上げ練り上げたシナリオが、

総合芸術と言われるほどに多くの人々の力の関与を受けて、

映画として視覚化されたのです。



実際の人生も、現実の社会も、
これと殆ど何も変わらないと思うのです。

この世の中に存在する人工物は、

全て人生という映画のセットであり
大道具であり小道具のようなものです。

いや、自然物さえも、
根源的な意識が形成した
大掛かりなセットと言えるかもしれません。




今の世の中の混乱や政治の堕落ぶりは、あきれるばかりですが、

視覚を上記のような形而上にシフトして見ると、

客観的な宇宙からの傍観者の視点を持つことが出来ます。

 



客観的視点、つまり映画を観るように見ると、

その極悪ぶり、堕落ぶり、嫌な奴ぶりも、

ストーリーの展開上、必要な設定とも見えてきます。

経済という仕組みさえ、矛盾に満ちた、

どこかの狂った宇宙の出来事のように見えます。

 


映画「Back to the Future」で、

性悪のいじめっこが支配する酷い未来が実現されてしまうシーンがありますが、私には感慨深いシーンでした。

 



願望実現には善も悪もありません。

善良な願望も叶うし、悪辣な願望も叶います。

どのような未来を望むのか?はまったくあなた次第です。


そのうえで我々の総体が、結局、どのような未来を築くのか?


それが、われわれに課せられたチャレンジということだと思います。



地震や異常気象、経済問題、疫病、戦争・・・



危機はすぐそこまで迫っているのかもしれませんが、
映画でよく見るシーンで、悪の根城が崩壊し、そこから脱出し、

希望の天地へと脱出するくだりのシーンの定番はどんなだったでしょう?



「余裕ある脱出なんて、あったためしはない。」


いつもギリギリ。
最後の扉が閉まる寸前、からくも脱出し、
その直後、悪の要塞は大崩壊する。

 


大体、いつもこういう感じですよね?

それが、人類の集合意識の現われであると思います。


ですので、本当のギリギリ!
その時こそが、急激な変化の時であると予感するのです。

 


それが手遅れになるのか?間に合うのか?


その選択は、我々一人一人の手の上にあります。





命をありがとうございます!



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