魂の旅シリーズ



変身の原理




「こんな自分を変えたい!!変わりたい!!」


そのように思う人は多いようです。


パーフェクトな人などいないので、

向上心を持って、

進化を志すことは良いことです。



また、「自分探し」も、ちょっと前に流行りましたね。

自分を探すってことは、自分を見失っているっていうことですよね?



自分は確かに確固として、ここに在る。

鏡の前に立つと、ちゃんと自分が映る。

なのに、見失っていると感じている。

この自分が、本当の自分ではないと感じるのです。




変わりたいにしても、探したいにしても、


ここではまず、


「自分とは何か?」



について知る必要があると思います。







それでは、一度、自分という人間はどんな人間なのか?

説明してみてください。


すぐに、頭の中に、経験によって形成されてきた自己のイメージが立ち上がってくると思います。




人間は、生まれたときは、無垢で、まっさらな状態です。

そこに日々、五感でとらえたものをフィードバックしながら成長してゆきます。

その過程で、外界との接点(経験)を座標軸としながら自己イメージを形成してゆきます。


それぞれの人のオリジナルな境遇の中で、あなたの意識は、それぞれの人格を形成してゆくシナリオライターのようなものです。


それが気に入ったシナリオならば、それに感謝し楽しみ、ますます面白く壮大な世界を展開してゆけばよいだけですが、自分のシナリオが気に入らない場合はどうするか?




書きかえればよいと思います。





そのやり方のヒントを次に書きます。



自己イメージとは、過去の経験によって形成されています。

人間は、試行錯誤によって学習しながら成長してゆきますよね?

例えば、お湯を沸かしているケトルに手を触れて、


「熱い!」


という経験をすれば、もうそんなことはしません。

そのように学んで、
この肉体を維持してゆく方法を多角的に身に付けていきます。


これは、非常にありがたい有益なサバイバルシステムなのですが、弱点もあります。


それは、サバイブを優先して、安全圏を形成するということです。

もちろん、安全圏よって危険を回避したりできる恩恵はあるのですが、本来、無限の可能性が与えられているはずの人生に制限を設けてしまうという弱点があるのです。




また、自己イメージを形成するうえで重要な要因となっているのが、他人の評価です。

様々な出来事の記憶と一体となって、

「他人の評価」

「発せられた他人の言葉」



が強烈にインプットされて、自己イメージに焼き付けられてきたのです。


経験が人格を形成していくのは自然の摂理かもしれませんが、

よく考えてみると多分に理不尽な部分もあることが分かってきます。





例えば、極端な話をすれば、




小学校低学年のとき、ある子が、
たまたま急性の下痢になったとします。

授業中、急にお腹が痛くなりウンコが出そうになってきた~。

しかし、先生に告げる間もなく、ちびってしまった・・・。


その子は、日頃から優しく良い子で、
何の問題も無かったにもかかわらず、

その瞬間から、

「ウンコタレ!」


です! 




みじめな自分、恥ずかしい自分、

消え入りたい思いで胸が一杯になっているところへ、
周りからの叱責、嘲笑・・・。



「なんで、はやくトイレに行きたいと言わないの!!」

「くっさ~!!」

「きたない~!」



屈辱の嵐の中で強烈な自己イメージが形成されるだろうし、
その際、同時に、思いやりの無い他人の残酷な仕打ちに人間嫌いになってしまったり、人間不信に陥ってしまったかもしれません。





しかし、時が過ぎ去った今、
遠い宇宙から眺めるような客観的視野を手に入れれば、
悪い自己イメージを形成するに至った現場に、
劣等感を持つべき理由など存在せず、
人生を限定する価値も根拠もないものであったと確信できます。



人生の過程で、何かの失敗したら、

人は、なんとでも言います。
どんなひどい言葉をかけたりもします。



しかし、多分、その言葉を発したことすら当人は憶えてなどいないでしょう。


そんなものが、いつまでも意識の中に残留して、
あなたの自己イメージをつくっているのです。


悪い自己イメージを分析してゆくと、
起因するさまざまな出来事に辿り着きます。

それを高い次元の視野を持って更に分析してゆくと、玉ねぎの皮を剥くように、その根拠は消えてなくなる場合が多いです。



「そんな過去の悪い思い出を穿り返す必要は無い!」

「せっかく忘れているものを引っ張り出す必要は無い!」



と思う人もおられるでしょう。

しかし、忘れていると思っても、
潜在意識は忘れていません。


そこに触れないように避けていると、
いつまでたってもその自己イメージに縛られているということなのです。それを越えることが出来ていないということなのです。



それを、部屋に例えると、
一見きれいに片付いているが押入れを開けると、
えげつないことになっている部屋と同じです。


ゴミを見えないところに隠したところで、
それは表面的な体裁にすぎません。


見栄を張ることによって誰かを騙せたとしても、
自分自身は騙せません。

いつもじっと自分を見つめています。

嘘の自分に人生のハンドルを握らせるのはやめましょう。





それじゃあ、その「ウンコタレ」事件で焼き付けれた最悪な自己イメージをどうやって変えるんだ?
過去は、変えられないだろう?






それでは、その方法をお話しましょう。




一番の解決方法は、瞑想の中で、
もういちどその時点まで戻り、

高次元の客観的視野で俯瞰して、
そこで、その出来事の印象を別のモノに書き換えるのです。



具体的には、いったいどうすればよいのか?



その恥ずかしい過去の事実を打ち消すことは出来ないけれど、
自分を責める理由は無い!ということを発見し、確信を持ち、自分をそして他者を許すことです。



こんな理不尽な立場に追いやられて、

たいへんな屈辱を受けながらも、

必死で耐えている自分を
褒めて褒めて褒めまくってやればよいのです。


まわりで、はやしたてる子供達の残酷な仕打ちを一身に浴びながらも、
その子達に仕返すわけでもなく、
じっと耐え抜くその姿・・・。


カッコイイじゃありませんか!

誇りを持って自慢すればよいのです!



出来事に対する、見方を変えるのです。

新たな視野を手に入れるだけで、

自己イメージを劣化させていた事実を180度、
変化させることが出来るのです。


それは、過去を変えるということに他なりません。






「命をありがとうございます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


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